「やがて君になる」を読んで

やがて君になる」の1巻から6巻まで読みました。自然と特殊の間のちょうど良いバランスで面白かったです。物語として楽しむと言うよりは、性や恋について考えさせられる漫画でした。


その中で、燈子の「他人から好きになられたくない」的な発言について、全くお話と関係ないことを考えたのでここに記す。


燈子「他人から好きになられたくない」

(理由)相手が思う自分≠本当の自分

だった場合、裏切られる(本当の自分を知った時、相手に嫌われてしまう)ため。


って感じで…


私は好きな人がいる。←突然の報告

私がこの台詞と理由を読んで思ったこと↓


・好きな人の今

・現在の好きな人の元になった、好きな人の過去

・好きな人の今が作り出す、好きな人の未来


こんな感じで、私は、好きな人の今も過去も未来も好きだ。


私の思う、好きな人の人物像は、必ずその人自身から出てきたものである。別のところから出てくることは決してない。よって、その人に対する、「こういう人なんじゃないかな?」っていうのは決して間違いではない。ていうか、人間ってめっちゃ複雑じゃん。大雑把なこともあればここだけめっちゃこだわるやん!っていることって日常茶飯事じゃん。まず、人間を自分が持つ枠に当てはまることが間違いで、、、。まあ、言い出したらきりがないんで。結局言いたいのは、人が持つ、他者への枠はあながち間違いではない。枠が少しずれてて、そのずれが譲れないものだったら「好き」→「嫌い」になるのだ、ということ。私の好きな人についても、これからその人のどんな良いところを見ても悪いところを見ても、好きで居続けると思う。まず枠を決めてないから。決めてたとしても人類の5%も入れるくらいの枠だから。


①と②より、燈子は安心して他人を好きになって良いし、好かれて良いと思うよ。


でも人間だから、こんなに好きで居ても急に冷めることも忘れてしまうことも必ずある。なんでこんなこと言ってたんだろうって思う日も必ずある。だから、好きな時に十分に愛させて欲しい。不完全燃焼だったら、多分無駄に引きずってそんな好きでもないのに好きだと自分に言い聞かせ続けちゃう。だから、燃えさせて欲しい。で、燃え残った後も一緒に居られるなら居させて欲しい。燃えかすを見て、「ああ、私はこの人生でこれだけ他人を愛したんだな」って思えるから。生きた証が1つ増えるから。


付き合いたーーーーい!女同士だけどーーーー!年、20歳違うけどーーーー!以上。